「マーケティングミックスモデリング(MMM)」と聞くと、大手消費財メーカーや全国チェーンがテレビCMの効果を測定するための手法というイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。
実際、MMMは長年にわたり大企業のマーケティング部門で活用されてきた分析手法です。
しかし近年、この手法が小規模事業者にも広がりを見せています。
今回は、地域密着の和菓子店がMMMを導入し、SNS運用と季節イベントの効果を可視化した事例をご紹介します。
Contents
- 町の和菓子店が直面した「効果測定の壁」
- SNSを続ける理由が説明できない
- 季節イベントとSNSの効果が混ざる問題
- 「勘と経験」だけでは限界がある
- MMMとは何か? 小規模店舗でも使える理由
- マーケティングミックスモデリングの基本的な考え方
- 小規模店舗でMMMが機能する条件
- 分析に使ったデータの全体像
- MMMで見えた「意外な真実」
- Instagramは「新規客」に効いていた
- 季節イベントは「客単価」を押し上げていた
- 天候の影響は想像以上に大きかった
- データに基づいた改善アクション
- 投稿頻度を週3回から週2回に削減
- 季節イベント前のSNS投稿を最適化
- 天気予報を仕込み量に反映
- 成果と今後の展望
- 単月売上15%アップを達成
- 「なんとなく」から「根拠を持って」へ
- 小規模事業者こそデータ活用のメリットが大きい
- 今回のまとめ
町の和菓子店が直面した「効果測定の壁」

SNSを続ける理由が説明できない
C氏は、地方都市で創業45年の和菓子店を営む3代目店主です。
従業員は家族を含めて4名、地元の常連客に支えられながら、季節の上生菓子や定番のどら焼き、大福などを製造販売しています。
3年前、C氏は若い世代にも店を知ってもらいたいと考え、Instagramのアカウントを開設しました。
季節の和菓子の写真、製造工程の様子、店の日常などを投稿し続けた結果、フォロワーは2,000人を超えるまでに成長しました。
「いいね」やコメントもそれなりにつき、たまに「Instagramを見て来ました」というお客様もいらっしゃいます。
しかしC氏には、ずっと心に引っかかっていることがありました。
先代の父親から「SNSにかけている時間は売上につながっているのか」と問われるたびに、明確な答えを返せなかったのです。
「フォロワーが増えています」「反応は良いです」とは言えても、「売上にこれだけ貢献しています」という数字を示すことができませんでした。
季節イベントとSNSの効果が混ざる問題
C氏が特に頭を悩ませていたのは、効果の「混在」でした。
たとえばお盆の時期は、毎年売上が大きく伸びます。同時にC氏はお盆前になるとSNS投稿を増やし、「お供え用の詰め合わせ」や「帰省土産におすすめ」といった内容を発信していました。
売上が上がるのは「お盆という季節イベントの力」なのか、それとも「SNS投稿を増やした効果」なのか。
あるいはその両方が複合的に作用しているのか。C氏にはそれを分離して把握する術がありませんでした。
同様の問題は、正月、ひな祭り、卒業・入学シーズン、お彼岸など、年間を通じて繰り返し発生します。
季節の行事と販促活動が常に重なるため、「何がどれだけ効いているのか」を純粋に切り分けることが極めて難しかったのです。
「勘と経験」だけでは限界がある
もちろんC氏には、長年の経験から培われた「肌感覚」がありました。
雨の日は来店客が減る、気温が上がると水ようかんが売れる、卒業シーズンは上生菓子の注文が増える。
こうした傾向は、日々の営業を通じて体感的に理解していました。
しかしこの肌感覚は、定量化されていないがゆえに、意思決定の場面で力を発揮しきれませんでした。
「SNS投稿を週3回から週2回に減らしても大丈夫だろうか」「お盆前の投稿はいつ頃から始めるのが最適か」といった判断を、根拠を持って下すことができなかったのです。
ある日、C氏は知人から「マーケティングミックスモデリング」という手法の存在を教えられました。
複数の要因が売上にどう影響しているかを統計的に分解できるという説明を聞き、C氏は「これなら自分の悩みを解決できるかもしれない」と感じました。
MMMとは何か? 小規模店舗でも使える理由

マーケティングミックスモデリングの基本的な考え方
マーケティングミックスモデリング(MMM)とは、売上や来店客数といった成果指標に対して、広告、販促、季節性、外部環境など複数の要因がそれぞれどの程度寄与しているかを統計的に分解する分析手法です。
たとえば「今月の売上1,000万円」という結果があったとき、その内訳を「季節要因で300万円、SNS効果で100万円、天候要因でマイナス50万円、ベースラインで650万円」といった形で分解できます。
これにより、どの施策にリソースを集中すべきか、どの要因をコントロールすれば成果が最大化できるかが見えてくるのです。
MMMは従来、テレビCMなどのマスメディアの効果測定を目的として大企業で活用されてきました。
数億円以上の広告費をかける企業が、その投資対効果を把握するために用いる手法というイメージが強くあります。
しかしMMMの本質は「複数要因の影響度を分離する」ことにあり、この考え方自体は事業規模を問わず応用可能です。
小規模店舗でMMMが機能する条件
C氏の和菓子店でMMMが実施できたのは、以下の条件が揃っていたからです。
まず、日別の売上データが十分な期間にわたって蓄積されていました。
POSレジを導入していたC氏は、過去2年分の日別売上データをCSVで抽出できる状態にありました。MMMでは統計的な分析を行うため、最低でも1年分、できれば2年分以上のデータがあることが望ましいとされています。
次に、複数の販促手段を並行して実施していました。
SNS投稿、季節イベントに合わせた店頭装飾、地域情報誌への掲載など、C氏は複数のチャネルで販促活動を行っていました。分析対象となる「説明変数」が複数存在することで、それぞれの効果を比較・分離することが可能になります。
さらに、外部要因のデータが取得可能でした。
気象データは気象庁などのウェブサイトから無料で取得でき、地域の祭りや学校行事などのイベント情報もカレンダー化できます。
こうした外部要因をモデルに組み込むことで、販促活動の「純粋な効果」をより正確に推定できるようになります。
分析に使ったデータの全体像
C氏の和菓子店で実施したMMMでは、以下の4種類のデータを使用しました。
1つ目は、POSデータから抽出した日別売上です。
売上金額だけでなく、来店客数と客単価も分けて記録していたため、「売上の増減が客数によるものか、単価によるものか」を区別した分析が可能でした。
2つ目は、Instagramの投稿データです。
投稿日、投稿内容のカテゴリ(商品紹介、製造工程、店舗情報など)、リーチ数、エンゲージメント数を記録しました。Instagramのビジネスアカウントであれば、これらの数値はインサイト機能から取得できます。
3つ目は、季節イベントのフラグデータです。
お盆、正月、ひな祭り、お彼岸、卒業・入学シーズン、母の日、敬老の日など、和菓子の需要に影響しそうな行事を洗い出し、該当日に「1」、それ以外の日に「0」を入力したデータを作成しました。
4つ目は、気象データです。
日別の天候(晴れ・曇り・雨)、最高気温、最低気温を気象庁のウェブサイトから取得しました。和菓子の売れ行きは天候や気温に左右されやすいため、このデータはモデルの精度向上に大きく貢献しました。
MMMで見えた「意外な真実」

Instagramは「新規客」に効いていた
分析を進めていく中で、最初に明らかになったのはInstagramの効果の「質」でした。
C氏はこれまで、SNS投稿が売上全体を底上げしていると漠然と考えていました。
Instagramの投稿数やリーチ数は、「新規来店客数」との相関が統計的に有意である一方、「既存客のリピート来店」にはほとんど影響を与えていなかったのです。
この結果は、C氏にとって意外なものでした。
常連客もInstagramをフォローしてくれている方が多く、「投稿を見て来ました」という声もいただいていたため、既存客の来店動機にもなっていると思っていたからです。
しかしデータを詳しく見ると、既存客の来店頻度はSNS投稿の有無にかかわらず、ほぼ一定のペースを保っていました。
常連客は「投稿を見たから来店する」のではなく、「もともと来店するつもりで、ついでに投稿も見ている」という関係性だったのです。
一方で、新規客についてはリーチ数が増えた週に来店数も増えるという明確な相関が見られました。
季節イベントは「客単価」を押し上げていた
季節イベントの効果についても、興味深い発見がありました。
お盆や正月、お彼岸といった季節イベントは、売上を大きく押し上げる要因であることは間違いありませんでした。
しかしその効き方を詳しく分析すると、来店客数の増加よりも「客単価の上昇」に強く寄与していることがわかりました。
季節イベントの時期には、贈答用の詰め合わせや上生菓子など、通常より高単価な商品の購入が増えます。
そしてこれを購入するのは、多くの場合、普段から店に通っている既存客でした。
つまり季節イベントは「新しいお客様を呼び込む力」というより、「既存のお客様により多く買っていただく力」として作用していたのです。
この発見は、SNSの効果と合わせて考えると非常に示唆的でした。
Instagramは新規客の獲得に効き、季節イベントは既存客の購買額を高める。
両者は異なる役割を担っており、どちらか一方に偏重するのではなく、組み合わせて活用することで相乗効果が生まれる可能性が見えてきました。
天候の影響は想像以上に大きかった
MMMを実施して最も驚いたのは、天候の影響力の大きさでした。
C氏は経験的に「雨の日は売上が落ちる」と感じていましたが、その影響度を数値化したことはありませんでした。
分析の結果、雨天時の売上は晴天時と比較して平均で18%低下していることが判明しました。
これは、季節イベントによる売上増加効果に匹敵する大きさです。
さらに気温との関係も明らかになりました。
最高気温が25度を超えると水ようかんやくず餅の売上が急増し、逆に15度を下回ると温かいお茶と一緒に楽しむ練り切りや栗蒸し羊羹の売上が伸びるという傾向がデータで裏付けられました。
天候や気温は人間の努力ではコントロールできない外部要因ですが、その影響を正確に把握することには大きな意味があります。
なぜなら、天候の影響を考慮せずに分析すると、SNSや季節イベントの効果を過大評価したり過小評価したりしてしまうからです。
たとえば「お盆前にSNS投稿を増やしたら売上が上がった」という観察があっても、その週がたまたま晴天続きだっただけかもしれません。
MMMでは天候の影響を統計的にコントロールすることで、各施策の「純粋な効果」を推定できるのです。
データに基づいた改善アクション

投稿頻度を週3回から週2回に削減
MMMの結果を踏まえ、C氏はまずSNS運用の見直しに着手しました。
それまでC氏は「投稿頻度が下がるとフォロワーが離れてしまうのではないか」「毎日投稿している競合に負けてしまうのではないか」という不安から、週3回以上の投稿を自分に課していました。
しかしこれが負担となり、投稿内容の質にばらつきが出ていたことも自覚していました。
分析結果を見ると、投稿の「数」よりも「リーチ数」が新規客獲得に効いていることがわかりました。
週に1回でもリーチ数の高い投稿があれば、週3回の平凡な投稿よりも効果が高いのです。
C氏は投稿頻度を週2回に減らす代わりに、1回あたりの投稿にかける時間と労力を増やしました。
写真の撮り方を工夫し、投稿文も丁寧に推敲するようにしました。
結果として、投稿あたりの平均リーチ数は1.4倍に向上し、作業負荷は軽減されながらも集客効果は維持できました。
季節イベント前のSNS投稿を最適化
次にC氏が取り組んだのは、季節イベントとSNS投稿のタイミングの最適化でした。
MMMの分析では、季節イベントに先立つSNS投稿の効果も検証しました。
その結果、イベントの2週間前から投稿を始めると最も効果が高く、直前すぎる投稿(3日前以内)は効果が限定的であることがわかりました。
この知見は、消費者の購買行動を考えれば納得のいくものでした。
贈答用の和菓子を購入するお客様は、イベント当日に衝動的に買うのではなく、事前に「どこで何を買おうか」と検討する時間を持ちます。
その検討段階でSNS投稿が目に入ることで、C氏の店が選択肢として認識されるのです。
C氏は年間の主要イベントに対して、2週間前からの投稿スケジュールをあらかじめ計画するようになりました。
お盆なら8月1日頃から、お彼岸なら9月上旬から、といった具合です。
投稿内容も「新規客にはInstagramで認知してもらい、来店後は季節の特別商品で客単価を高める」という戦略を意識したものに変わりました。
天気予報を仕込み量に反映
MMMで得られた天候係数は、日々のオペレーション改善にも活用されました。
C氏は、翌日の天気予報に基づいて仕込み量を調整する運用を開始しました。
たとえば「明日は雨予報なので、通常の85%の仕込み量にする」「週末は晴れ予報なので、やや多めに仕込む」といった判断を、データに基づいて下せるようになったのです。
これまでC氏は「少し多めに作っておけば安心」という考えで仕込みを行っていましたが、その結果として廃棄ロスが発生することも少なくありませんでした。
天候係数を活用することで、廃棄ロスは以前と比べて約20%削減されました。
金額にして月あたり数万円の改善であり、小規模店舗にとっては決して小さくない数字です。
成果と今後の展望

単月売上15%アップを達成
これらの取り組みを総合した結果、C氏の和菓子店は単月ベースで売上15%向上を達成しました。
内訳を見ると、新規客の獲得は微増にとどまりましたが、既存客の来店頻度と客単価が向上しています。
特に季節イベント時の売上が大きく伸び、「SNSで新規客を獲得し、イベントで既存客の購買を促進する」という戦略がうまく機能したと言えます。
興味深いのは、この成果がSNS投稿の「増加」ではなく「最適化」によってもたらされたことです。
投稿頻度は減らしながらも、投稿の質とタイミングを改善することで、より少ない労力でより大きな成果を得ることができました。これは小規模事業者にとって非常に重要なポイントです。
「なんとなく」から「根拠を持って」へ
C氏にとって、数字以上に大きかったのは意思決定のあり方の変化でした。
以前は「なんとなく効いている気がするから続ける」「不安だから投稿頻度を落とせない」という状態だったものが、「このデータに基づいてこう判断した」と説明できるようになりました。
先代の父親に「SNSの効果」を問われたとき、C氏は初めて具体的な数字を示しながら回答することができました。
また、将来の施策を検討する際にも、MMMの結果が判断材料として機能するようになりました。
「新しくLINE公式アカウントを始めるべきか」「チラシを出すべきか」といった検討を行う際に、「Instagramは新規客に効いているからLINEは既存客向けに使おう」「天候の影響が大きいなら雨の日限定クーポンは効果があるかもしれない」といった仮説を、データに基づいて立てられるようになったのです。
小規模事業者こそデータ活用のメリットが大きい
C氏の事例から得られる最大の教訓は、「データ分析は大企業だけのものではない」ということです。
むしろ、リソースが限られている小規模事業者こそ、データ活用のメリットは大きいと言えます。
大企業であれば多少の非効率があっても事業全体でカバーできますが、小規模事業者にはその余裕がありません。
限られた時間、限られた予算、限られた人員をどこに集中させるかが、事業の成否を分けます。
MMMのような分析手法は、その判断を「勘」から「根拠」に変えてくれます。
C氏がSNS投稿の頻度を減らすことができたのは、データが「減らしても大丈夫」という根拠を与えてくれたからです。根拠なしにその決断を下すことは、心理的に非常に難しかったでしょう。
今回のまとめ
今回は、町の和菓子屋がマーケティングミックスモデリングの活用事例をお話しをしました。
町の和菓子屋がマーケティングミックスモデリングを導入するというのは、数年前であれば考えられなかったことかもしれません。
しかし今では、POSレジのデータは簡単に抽出でき、SNSのインサイトも数クリックで確認でき、気象データはウェブから無料で取得できます。
分析に必要な材料は、実はすでに手元に揃っているのです。
データは過去を振り返るためだけのものではありません。
未来の判断を支え、「なんとなく」を「確信を持って」に変えてくれるものです。
C氏の和菓子店の取り組みが、同じような悩みを抱える事業者の方々にとって、一歩を踏み出すきっかけになれば幸いです。
C氏は、MMMの導入を振り返って次のような感想をもらしてくれました。
「データ分析というと、難しい数式やプログラミングを想像していました。でも本当に大切なのは、日々の記録を残すことと、その記録から何を読み取るかという視点だったんですね」

